第2日(9月23日)

 本日は九寨溝まで480kmをバスで1日かけて移動する日。途中、海抜3000m近い所でチベット族の村にも立ち寄る予定。
 6:15 起床、涼しい。7:05 朝食へ 7:00 オープンの食堂は既に混雑している。 中華のバイキングだが食べ物の多くがピリ辛。
 お粥に入れて食べるとちょうどよいものもある。目玉焼きのコーナーもあるが長い列なので今日はパス。
 予定通り8:00 ジャストにバス出発。雨の出勤ラッシュの中を走る。オートバイの人が多い、ほぼ全員の人がオートバイ専用の合羽を
 着用している。いわゆるビニール製の頭から被るものだが前部が非常に長くなっており(黄さんに聞くと前部は地面につくほど長いとのこと)
 これをハンドルの前に垂らして使用している。こうすると1つで足まで濡れないようにできるという訳だ。夜はヘッドライトの光が遮られて
 しまいそうだがどうなのだろうかと気になるが---。。四川省は昔から薬草の多いところの関係で製薬会社が多いとの説明があるが、
 バスの車窓からいくつも製薬会社らしい大きな建物が見える。オートバイの人たちはこのあたりの会社に出勤しているようだ。
 ごく稀に傘をさしてオートバイ運転しているツワモノもいる。黄さんによるとあれは電動自転車でオートバイほどスピード出ないものとのこと。
 車も多くてスピード出せないので距離はそんなに無いと思うがホテル出てから50分ほどはラッシュの中を走る。
 やがて大きな建物が無くなり木の間に住宅が見えるようになってくるとオートバイは見られなくなり車も減ってスピードアップする。
 そのうちバスは高速道に入る。9:28 右側にアパート群見える、9:31 都江堰西出口通過、右遠くにビルがたくさん見える。
 多分都江堰の町であろう。9:39 4100mのトンネルを出るとすぐ湖が見える。発電用のダム湖とのこと。料金所があり、すぐ次の
 3600mのトンネルに入る、トンネルを出るとすぐ映秀出口がある。
 2008年5月12日発生の四川大地震で震源地とされる四川省ブン(さんずいに文)川県映秀鎮の映秀である。
 映秀鎮の死者・行方不明者は全人口1万人の8割近い7700人と言われる。<全体では死者69197人、行方不明者18,000人)
 四川大地震で九寨溝への二つの道路<=成都から西周りの213号線と東周りの205号線>は両方とも大被害で通行不能となり、
 一時は九寨溝地区へのアクセスが空路のみとなっていた。道路復旧は難航したが(今われわれが走っている)213号線は2010年
 11月に全面復旧した。ー―以上大部分は「ウィキペディア」より引用。213号線と高速道(といっても映秀のあたりは最高速度60km)
 との関係はわからないが高速とつながった一般道には”G213”の標識がある。映秀出口を過ぎるとまた長いトンネル、トンネルを出ると
 薄い霧の中に川が見えるが濁った水が凄い勢いで流れている、深い谷の両側の急斜面はいたる所に土砂崩れが見られる。
 黄さんに聞くと以前の道路は地震で多くのところが崩れたので廃道にしてトンネル主体の新しい道を作ったとのこと。
 トンネルは9:57 3500m、10:04 5260m、10:12 5000mという感じで続く。
 10:35 ブン川南で信号のある一般道(213号線)へ出る。ちょっと走ると川のむこう(右側)にアパート主体のたくさんのビルが見える。
 地震の後で建てられたブン川の町だと説明ある。10:40頃バス停車、ドライバー降りる、警察による免許証のチェックがあるとのこと。
 2分ほどで済む。九寨溝まで270kmの標識通過してすぐ、10:50〜11;10 くだものや食品いろいろ売っている店でトイレストップ。 
 中国式トイレ、有料1元。中を見るペットボトルの水は1元でこれは7年前と変わっていない、いやむしろ安くなっている。
 11:58〜茂県の町をちょっと通り過ぎたところのホテル&レストランで昼食。外は薄曇りで寒くはない。
 飲み物でビール 40元とのこと(場所は違うが7年前15元で飲んでいたのに比べ)高い、小生いれて4人の人がビール注文、
 ”燕京鮮?”(480ml瓶)よく冷えていて温度はよいがやはり味がうすい。黄さんに高い!と言うと彼は今はどこでも30〜40元だという。
 食事は料理:10種類にスープと立派、味もあっさりしているもの多く食べやすいがご飯はパサパサで小生は苦手で少しだけ食べる。
 このあたりは少数民族”羌族”(キョウ族またはチャン族)が多く住むところでキョウ族全体で30万人の殆どがこの辺りの地区に住んでいる
 とのこと。食事が済んで外にでると薄日が差している。谷の両側の斜面に荒れた段々畑の跡のようなものが見える。
 黄さんに荒れているけど畑か?と聞くと畑だったが自然保護のため(15年前?)に政府の方針で畑は植林or放置することになった。
 そう言われて見ると植林されている所も見えるが、放置された所の方が圧倒的に多い。
 キョウ族は生活どうしてるのか聞くと、町に住む人、山羊を飼っている人等だとのこと。もちろん畑は傾斜のなだらかな所や川の
 近くには残っていて今の時期トウモロコシや野菜が栽培されているのが見えるのでまったく無くなったわけではない。
 12:50 バス出発、13;00頃 このあたりに見える荒れた古い道は茶馬古道の一部だと説明ある。崖に細い道があり、崖が崩れた所で
 無くなってそのまま放置されたのが見えるが恐らくそれも茶馬古道の一部なのだろう。走行中のバスから写真撮影したが、後でみると
 ボケボケで細い道が写っていない。13:10〜20分間渋滞、普通車が故障で1台路肩に止まっていたのが原因。普通車どうしは
 通れるがトラックやバスは片側交互でなければ通れないのが原因。渋滞がひどくなるのは反対車線から車が来ないととにかく反対車線に
 つっこんで行く乗用車が多いことによる人為的な要因が大きい。13:38 渋滞解消。14:56 ヘヤピンの続く長い坂を上って少し先の
 大きな湖の近くの店や展望台もある駐車場でトイレ休憩。トイレは中国式、有料:1元 このあたり海抜高いようで少し寒い。
 湖を見渡す展望台のところにはリボンを付けた白い大きなヤクが2頭いる。濁った水の湖は1936年の地震でできたものとのこと
 店はキノコやナッツ、果物の干物を売っていて盛んに試食を勧める。おばさんがクルミを握って割って中身を食べさせてくれる。
 そんな簡単に割れるものならと、20元分買う。<後で握って割って見るとおばさんがやるほど簡単に割れないものがあり、帰ってから
 固いものはハンマーを使って割った。おばさんすごい握力!>しっかりカラがついているのに少し甘みがついていた。
 15:10 バス出発、16:30〜人の多い松潘の町を走る。立派な城壁があり***賓館とか××酒店というのも何軒モあり観光客も多い。
 城壁は明代のものとのこと、山の上には城?も見える。町には肉屋が多くヤクの大きな干し肉が店先にぶらさがっている。
 松潘の海抜は2000mと説明ある。ここからもバスはまだ上って行く、道路工事している人がキルティングを着ている。外は寒そう。
 17:20 右の畑一面のラベンダー咲いているところ通過。17:25 メイン道路から脇道に入りチベット族の村に行く。
 10軒ほどの集落の真ん中という所でバス降りる。寒い!ここは海抜3000mとのこと寒いはずだ。村の中心と思われるところに
 お堂があり中にはいくつかのマニ車がある。タルチョもひるがえっている。そのお堂の下の方におばさんが見えるが他には人の姿はない。
 そんな静かな集落の中の道を数分間歩きバスに戻る。メイン道路にもどりガソリンスタンドでバスは給油、人間はトイレ。
 ガソリン 7,55元/? 軽油7,22元/? と表示されている。ここからもう少し走ると海抜2000mの九寨溝のホテルまで下る。
 18:05 遠くの山の上の方が白い、雪だ。放牧のヤクも見える。ヤクが道路を横切る時はヤク優先でバスは停車して待つのがルール。
 たまにヤクさまのための停車がある。18:20〜下りはじめ 19:25 ホテル<九寨溝格桑賓館>着。
 3000mでは晴れだったのに2000mでは雨が降っている。
 19:50〜ホテルで夕食、きのこ鍋をはじめきのこの入った料理が多い。味はあっさりしていて美味しい。ビールはブランドで30元と40元の
 2つがあるが飲む人全員30元の方にする。30元のは四川省産 雪花ビール 518ml やはりちゃんと冷やしてある。
 部屋はエアコンなく寒いのでうすいダウンきたまま過ごす。ライト暗く小さい字が読み難い。110Vコンセントあり。ペットボトル2本無料。
 ベッドには電気毛布がセットしてあり電気毛布を弱で使用して寝る。

 オートバイ用合羽  岷江の流れと土砂崩れ

 段々畑(の跡?)



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